三崎家の先祖は、府中城下に居を構える医者の家系でしたが、診察料を払えない貧乏な方からは料金を取らない、赤髭先生のような先生だったと言い伝えられています。そのため、薬代などを稼ぐための副業的に始めたのが塗師や指物師だったということです。 そして、初代・三崎半三郎が商家や寺社に出入りする指物師として信頼されたことで指物業を慶応元年ごろに創業いたしました。 江戸時代~明治時代には、商家の金庫代わりとして使われた「越前箪笥」や、檀那衆や寺社仏閣などのオーダー指物を製作してきました。 大正時代~昭和時代には、嫁入り道具としての「総桐たんす」で、親御さんが愛娘を送り出す親心のお手伝いをさせていただきました。 平成時代~令和になって、箪笥だけでなく「無垢木製品」のテーブルや棚類など、昔ながらの「越前指物」の意匠や技術を受け継ぎながら、現代のデザインや生活環境に即したオンリーワン商品をご提案しております。 地元に根差し、時代とともにお客様に寄り添い、現在まで150年以上続く老舗の家具店となり、ご愛顧頂いております。
機械場と作業場の2区画に分かれています。機械場では、昇降盤・横切盤・自動かんな盤・ルーターマシンといった大型機械で加工する場所です。作業場では、ノミやカンナといった手道具で加工したり、組み立て作業をする場所になっています。機械場にある機械は、高速回転で危ないので基本的には見学を受け付けておりませんが、作業場の方は表から見えるようになっていますので、作業中の見学も可能です。
100年以上の歴史と実績の三崎タンス店の総桐たんす、時代とともに変化と進化を遂げています。例えば、以前の標準的な「三つ重ね総桐たんす」というのは、鴨居や押入れにかからないように、高さを5尺7寸(173cm)で作っていましたが、お嬢様の背も高くなり、建物のモジュールも大きくなっている現在では、6尺(180cm)にして引出しを1杯ふやしたりアレンジしてます。他にも、フローリングに合うように洋風タンスや、収納するものが着物以外の用途のタンスなども作っています。
越前箪笥 のような時代箪笥の分野では、全国的にも数少ない経済産業大臣指定伝統的工芸品のひとつです。越前箪笥には主に2種類あり、1つは着物などを収めた衣裳箪笥で、もう1つは商家で証文や大福帳を収納していた金庫代わりの箪笥です。当店では後者の金庫箪笥の「越前箪笥」を主に作っています。金庫なので、堅牢で壊れにくい作りをしており、すべての引出しにカギがかかり、火事になったときに引っ張り出せるように台輪に車輪がついているのが特徴です。
杉や松などの針葉樹ではなく、広葉樹を中心に銘木といわれる硬木で美しい木目の材料を中心に製造しています。材木市で生木を購入し、野積みして2~5年程乾燥させるのですが、乾いてくると反ったり捻れたりしてきます。その反りを両面落として真っ直ぐの材料にして使います。性がいい(反りにくい)材料、性が悪い(反りやすい)材料がありますが、180cm×90cm程度の一枚板テーブルを天然乾燥で作る場合、もともと約80mmあった材料を削って50~60mmに仕上げています。
蔵や倉庫に眠っている、お婆様やご先祖様のタンスはありませんか?タンスの洗い直しもたまわっております。特に桐たんすは、桐が呼吸をするようにと、わざと被膜を作らない塗装がされているので、どうしても汚れを吸着してしまうのです。表面を薄く削って塗り直せば、ピカピカによみがえりますよ。また、終活や断捨離で捨てるくらいなら活かして欲しいということで、立派な越前箪笥や変わった時代箪笥を頂くことがあります。資料的に残させて頂いたり、材料取りで活用させて頂いたりできる場合もありますので、ご相談ください。
木のおもちゃは、舐めたり噛んだりしても安心で、乱暴に扱っても壊れにくく安全です。子供が集まる公共施設や保育機関などにもお求め頂いており、情操教育にも一躍かってくれます。小さいうちから本物の木に触れてもらうことで、大人になっても当店のファンになってくれたら嬉しいです。また、オフィスや家庭にも木の暖かみを感じていただける、大人向けの雑貨も取り揃えております。出産祝い、新築祝い、クリスマス会の景品など、ギフトとしても人気です。
ベッドやソファのような一般小売家具も取り扱っております。ベッドではテンピュールを一押ししています。1999年11月にテンピュールが日本で日本法人の子会社を作ったすぐくらいに、お客様から「あれ、いいらしいよ。取れない?」とお問合せ頂いて、調べて神戸の会社まで行ってみました。その低反発の寝心地に感動して、すぐに代理店契約をして取り扱いを開始したので、全国的にも早い方だと思いますし、県内では一番古い代理店です。